2015/11/09

「サヨナラサイキックオーケストラ」の感想

夏は、どいつもこいつも楽しそうすぎる。
楽しさは目に見えずとも音にはなってなんだかやかましいイメージなのに、蝉のせいで具体的にうるさすぎる。蝉は自分の音の大きさには気づかないだろう。蝉のうるささは夏の比喩だ。そしてあの屋上のみんなは、蝉になれなかった人たちだ。
超能力者たちの"超能力"という共通項は「役に立たない」という、能力自体と関係ない点で皆をつなげていた。皆居場所がなくて、意識の外で死ぬのを待ってるようだった。死ぬのを待ってるような人たちが屋上という逃げられない場所に追いやられるようにして集まり、みんな言わないけど、やっと見つけたという表情で一瞬を慈しんでいる。だから誰も結局帰らない。そこに小さな小さな「夏」がある。

「夏」の終わりにみんなで写真を撮る。そこにおじさんの念写っていう能力は関係ない。
写真(カメラ)っていうのはどうしたって等速で過ぎ去ってしまう世界の一瞬をその内に一時停止させることが出来る装置で、一秒後にはもう存在しないその一瞬が、それでも「かつて、それは、あった」という記録になる。
それはいい事だと思う。
「かつて、それは、あった」ということはこの作品では普通より大きな意味を持つ。あの世界はあと少しで、本当に何もかも消え去ってしまう(かもしれない)からだ。終盤、ずっと低く地鳴りのような音がしている(してますよね?)。女子高生のコが、地球が終わらない予知をするけど、たしかあの子は「良い予知は当たらない」っていう設定があったはずで(ありますよね?)、俺は確実に世界終わるなと思って観ていた。それでもみんなはその予知を信じて「終わらないんじゃない?」という気になっている。俯瞰して確実に世界終わる〜と思っているおれは、終わりゆく作品の世界から外される。予知を信じて終わらないじゃん良かった!と思った人はみんなと一緒に終わっちゃうのだろう。終わる/終わらないを明示しないのは作者の、作品への愛情だと思った。シャッター音のそのあとを、あの世界が終わるにせよ終わらないにせよ、お客さんの中に続けさせることができる。そういうのは愛情でしょう。



《!!!蛇足!!!》
作中で言ってたけど、世界の終わりは、いつも夏。らしい。
夏か。
であるならば、おれはやっぱり、世界は終わると思いますねぇ〜。

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